最近、街に出ればキラキラとしたイルミネーションが目に入る。

11月も終盤だ。

本格的な冬の到来、そしてクリスマスへ向かう高揚感が街を包み始めている。

そんな中で、「寂しい」という感情に支配されているやつもいるだろう。

特に、最近恋人と別れたばかりの俺はそうだ。

冷たい空気と光の粒が心の隙間に滑り込んできて、その寂しさを何倍にも膨らませる。

だからこそ、俺はここで一つ、断言させてもらう。 恋人と別れて感じる「寂しさ」は、はっきり言って“贅沢な悩み”だ。

きっと、お前はムカついたはずだ。

「何を冷たいことを言うんだ」と。

しかし、俺がなぜそう思うのか、まずは冷静に考えてみてほしい。

そして、お前が今感じているその寂しさの正体を、俺と一緒に見極めてやろうじゃないか。

失恋がゼロじゃなく“マイナス”に落ちる理由

この話を切り出している俺自身、先日、お別れをしたばかりだ。

今、お前が感じているであろう、あの心の奥底を冷たく握られるような寂しさ、何も手につかない虚無感。

それを俺もまた、強く感じている。正直なところ、これがしんどい。強がっていても、夜は長い。

だが、冷静に考えてみると、この「寂しさ」はおかしな現象だと気づく。

そもそも、出会う前の俺たちはどうだった?

誰かと一緒にいるわけでもない日々の中で、「寂しい」なんて感情はほとんど感じていなかったはずだ。

独りの状態 →ゼロ (0)

これが普通だった。そして、恋人という存在を得た。

心が満たされ、充実感と幸福感で溢れた。

恋人がいる状態 →プラス (1)

これが、いわゆる「幸福」というやつだ。

しかし、別れが来た途端、どうなる?

単純に考えれば、プラス (1) の状態から、元の ゼロ (0) に戻るだけのはずだ。

だが、実際に俺たちが感じているのは、ゼロに戻った感覚じゃない。

別れた後の状態 →マイナス (-5) くらい

元の状態よりも遥かに深い、底知れないマイナスに落ち込んだような感覚なんだ。

この「ゼロ」ではなく「マイナス」に落ち込む感覚。

これこそが、「贅沢」たる所以だ。

俺たちは、かつて恋愛の幸福という最高の贅沢を受けたという事実を、心と体が知ってしまった。

だからこそ、それが失われた瞬間に、元の「0」の場所さえも、耐え難い「-5」として感じてしまう。

つまり、「寂しさ」の正体は、お前が「愛された記憶」と「満たされていた事実」を知っていることの証明なんだ。

実際恋愛中は幸せだったか?

人はは「失って初めて気づく」なんて言葉を使い古されたクリシェだと思っているが、

実際のところ、渦中にいる時はどうだったんだ?

お前は、彼女と一緒にいた時、その一分一秒に「幸せだ」と噛み締めて生きていたか?

恐らく、答えはNOだ。

いつしかその幸福の状態が、「当たり前」になっていなかったか?

隣にいる体温、返ってくるLINE、週末の予定。それが永遠に続くかのように錯覚し、

慣れきって、時には「一人の時間が欲しい」なんて贅沢を言っていた瞬間があったかもしれない。

だが、現実は残酷だ。 俺たちは不老不死じゃない。

人間である以上、死別であれ生別であれ、「別れ」は100%の確率で訪れる確定事項だ。

どう足掻いても、いつかは終わる。 そう考えれば、かつて過ごした「何気ない一日」が、どれほど奇跡的な確率の上に成り立っていたかが見えてくるはずだ。

「どうせいつか終わる」。 これは悲観じゃない。事実を直視する強さだ。

終わりがあるからこそ、その一日、その一瞬が輝く。

俺たちは、その期限付きの時間を、もっと必死に、もっと貪欲に大事にすべきだったんだ。

「寂しい」という感情も、今だけの限定だ

過去を悔やんでも、時間は戻らない。 だが、「今」を支配することはできる。

お前が今、喉が詰まるほど感じているこの「寂しさ」。 夜中に目が覚めてしまうほどのこの「痛み」。

これもまた、今しか味わえない感情だ。 時間が経てば、人間の脳はうまくできていて、忘れていく。この強烈なマイナス(-5)の感覚も、いずれ薄れ、平坦なゼロ(0)に戻っていく。

だからこそ、俺は思う。 この寂しささえも、大事にしようと。 「あぁ、俺は今、こんなにも心が動いている」 「これほど誰かを想える機能が、俺には備わっていた」

そう思って、この苦しみをじっくりと味わい尽くしてやれ。

この感情は、お前が生きて、愛して、傷ついたという、紛れもない「生の証明」だ。

寂しさを消そうと足掻く必要はない。

「今しか感じられない貴重な体験をしている」という余裕を持って、

その感情ごと抱きしめてやればいい。

それが、過去の自分への決別であり、未来の強さへの第一歩だ。

まとめ: 寂しくていい

だから、結論を言う。

寂しくていいじゃないか。

今、俺たちはとてつもなく贅沢な悩みを抱いている。

この苦しみは、俺たちが一度でも本気で「幸福」を手にした人間だという証だ。

何も持たなかった頃の俺たちには、こんな悩みを持つ資格さえなかったんだから。

それに、安心していい。 人間の記憶なんていい加減なもんだ。

どうせ1ヶ月もすれば、だいぶなくなる。

今のこの「死ぬほど辛い」感覚も、時間と共に薄れ、必ず日常に戻っていく。それが人間の強さであり、少しばかりの冷たさでもある。

だからこそ、消えてしまうその時までは、この気持ちを大事にしていこう。

追伸

そしてこんな記事を書いている俺へ

めちゃくちゃダセェし気持ち悪いと思うが、そこも俺の可愛いところだと思う